こんにちは!ビール女子リポーターのなな瀬です。ビールが大好きなみなさんは、明治時代に日本中で飲まれていたという『カブトビール』の名を聞いたことがありますか? 愛知県半田市ではこのビールの味を甦らせ、今も地元で楽しまれています。そんな歴史あるビール、調査せずにはいられません。以前から気になっていた噂のビールの正体を探るため、現地半田市まで取材へ行ってきました!
ものづくりの街 半田市
ここ愛知県半田市は、江戸の頃より酒や酢、醤油など醸造の街として栄えていました。今でも半田駅周辺には、MIZKAN MUSEUM(ミツカンミュージアム)や國盛 酒の文化館など、醸造の歴史を感じられる観光スポットがたくさんあります。
川沿いには博物館などの他に、ミツカングループや『カブトビール』のルーツである中埜家縁の庭園や邸宅などが並んでいます。
黒壁の建物が歴史ある町の情緒を引き立たせますね。
川辺では夏の終わりを迎える直前の蝉たちがミーンミーンと忙しく鳴いて、涼しい風がぶわっと吹き抜けて心地良かったです。
市民に愛される赤レンガ建物
明治のビールの正体を探るべく訪れたのは、半田赤レンガ建物です。当時『カブトビール』を醸造していた時の建物をそのまま利用し、醸造の歴史を伝えるスポットとして昨年の7月にオープンした施設です。外観からすでに歴史を重ねた建物の威厳が伝わってきます。この歴史ある建造物は市民の人たちにより立ち上げられた一般社団法人赤煉瓦倶楽部半田によって調査が行われ、現在は半田市の所有物としてJTBプロモーションによって管理されています。
この日は夏休みということもあり、ファミリー客がたくさん訪れていました。また普段はイベントスペースとしても利用されており、期間限定のお化け屋敷も開催されていました。
館内のお土産ショップには、当時のノベルティーグッズやボトルなどが展示されています。また展示室では、コレクターなどから寄贈された貴重な資料が他にもたくさん観ることができます。
戦争による爪痕・建造物としての重要性
半田市民の手により大切に守られているこちらの赤レンガ建物は、数少ない明治時代のビール工場の遺構としてだけでなく、過去の戦争の爪痕もまざまざと物語る歴史的建造物なのです。設計者は、明治建築界の三巨匠の一人といわれる妻木頼黄氏。横浜赤レンガ倉庫や日本橋の設計にも関わった建築家です。明治時代に建てられた赤レンガ建造物としては5本の指に入る規模とされ、2004年には国の登録有形文化財にも指定されています。
そして半田赤レンガ建物の側面には、太平洋戦争中の昭和1945年7月に受けた敵国の機銃掃射による多数の弾痕が当時のまま鮮明に残されています。数多の努力と苦労を重ね誕生した珠玉の『カブトビール』でしたが、1933年には大日本麦酒株式会社への合併され、戦中の物資不足などの経営難を受け、1943年11月にはついに赤レンガ建物でのビール製造に幕を降ろすことになります。 さて、後半では『カブトビール』の誕生と歴史についてより深堀してご紹介していきます。お楽しみに!
『半田赤レンガ建物』
〇営業時間:9:00~22:00(常設展示 9:00~17:00、カフェ・ショップ 10:00~17:00)
〇定休:年末年始
〇住所:愛知県半田市榎下町8
〇料金:館内入場無料、常設展示 200円(中学生以下無料)
半田赤レンガ建物 ホームページ:https://handa-akarenga-tatemono.jp/
〇営業時間:9:00~22:00(常設展示 9:00~17:00、カフェ・ショップ 10:00~17:00)
〇定休:年末年始
〇住所:愛知県半田市榎下町8
〇料金:館内入場無料、常設展示 200円(中学生以下無料)
半田赤レンガ建物 ホームページ:https://handa-akarenga-tatemono.jp/