「一生かけてもつくりたいビールをつくり切れるかわからない」
ブルワー(ビール職人)になることを志し始めた昨年9月、中四国のブルワリー(醸造所)をまわっていたときにとあるブルワーさんがおっしゃっていた言葉から、ぼんやりとした“途方の無さ”を感じたことを覚えています。
その後ビールづくりの世界に飛び込み、ビールについて学びを進めれば進めるほど、あの“途方の無さ”がどんどんリアルになってきました。
「ビール学」という学問があるとしたら...
こんにちは。『Mukai Craft Brewing』の髙羽 開です。
新米ビール職人のコラム「拝啓、ビール職人になりました。」、第7回の今週のテーマは「ビールの世界が広すぎて深すぎて困りました」です。
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ブルワーになって約半年が経ち、『ビール女子』で連載をする機会もでき、このコラムを読んでくださる方に少しでも楽しんでいただきたいと、ビールにまつわる本を読むことが習慣になりました。
その中で気づいたことは、ビールにまつわる領域の多様さと複雑さです。
例えばここ1ヶ月で読んだ本をご紹介すると...
・ビールの自然誌(勁草書房)
歴史、物理、化学、生物学など、さまざまな視点からビールを紐解くビールの科学的解説書。
・アンソロジー ビール(PARCO出版)
アンソロジー(いろいろな詩人・作家の詩や文をある基準で選び集めた本)の名の通り、総勢41名の作家が書いたビールに関するエッセイ・漫画集。
・人は脳で食べている(ちくま新書)
「おいしい」という極めて複雑な感覚を紐解くとともに、現代人が感じるおいしさに対していかに「情報」が影響を与えているかを解説する一冊。
・食べることの哲学(世界思想社)
「食べる」という行為はいったい何なのか?を「アルコールを含む毒の摂取」「カニバリズム」「拒食・絶食」といったさまざまな切り口から哲学的な考察をおこなう一冊。
この並びからも分かるように、「ビール」と一口に言っても、そこにはさまざまな学問が関わっています。
歴史、物理学、化学、生物学、哲学。
「アンソロジー ビール」のように、言葉を用いてビールを表現しようとすると文学だって関わってきます。
紀元前8,000年〜4,000年の誕生から、数え切れない先人たちの知が積み重なり、今僕たちが飲んでいるビールは存在していて、そんなビールについて理解しようとすると、上に書いたようなそれぞれが独立した様々な学問を領域横断的に理解する必要があります。
それでいて「飲む」という行為は、学問だけでは説明しきれない、身体的感覚に訴えるものでもあります(身体的感覚を解き明かそうとする学問ももちろんありますが)。
加えて、ブルワーというお仕事には、「飲む」「つくる」だけでなく「伝える」「売る」といった文脈からもビールを捉えなければいけません。
(今自分で書いていて、改めて“途方のなさ”を感じています...)
「もし『ビール学』という学問があるのであれば一生かけてもきっと学びきれない」とたった半年で気づいてしまったのです。これはビールの世界だけに言えることではもちろんないですし、とあるものごとに対して「わかりたい」「学びきりたい」と思うこと自体傲慢なことなのかもしれません。
ですが、それでもやっぱり「自分が飛び込んだ世界についてできるだけ理解を進めたい」という思いは持ってしまいます。そしてそんな思いを持つ度に、ビールの世界の広さと深さを前に途方に暮れるのです。
この気持ち、わかっていただけますでしょうか。(笑)
途方に暮れつつも気づいたこと
ここまでの内容だけだと、ただただ悩んでいるようにも思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
いろんな領域からビールを捉えようと努めるからこそ、自分の目に見えるビールの世界はより多面的になり面白くもなります。
ビールをつくる側になり、ビール自体の出来や品質にどうしても意識が行きがちになってしまっていましたが、「アンソロジー ビール」で描かれていた、ビールのまわりにある人やモノ、生活、情景に意識を向ける作家の方々の感性に触れ、ビールそのものだけでなくビールを取り巻くいろんな環境に意識を向けることの楽しさや豊かさに改めて気づかされました。
また、「ビールを客観的に評価できる能力」を鍛えようと、新しいビールを飲むときはいつも、ネットに書かれているその商品の特徴と自分の鼻や舌で感じた感覚を照らし合わせていたのですが、『人は脳で食べている。』を読んで、自分がしていたことはただの確認作業でしかないことに気づきました。
そのアプローチは決して悪いことではありませんし、僕が習得しようとしているビールの「客観的評価」の方法も先人たちの知恵と経験の上に成り立っています。ただ、ネット上にある情報に引っ張られすぎると自分の感覚が隅に追いやられてしまいかねないことも恐らく事実で、そのことを認識でき、自分の五感と周囲の情報のバランスに対して意識的になることもできました。
そして、ビールをつくり上げてきた先人たちの歴史を学めば学ぶほど、彼ら彼女らの失敗や努力にあやかり、まずは基本に忠実にビールを作れるようにならなければと思います。
“自然界にある原料から出来た、この上なく社会的な飲みもの”という複雑極まりないビールを追求するには、その複雑性を受け入れなければそもそもスタートラインに立つことができないのかもしれません。
異なる領域の間を、二股三股、あるいは四股かけながら、いつもそのバランスに気を配りつつ、振り子のように行ったり来たり学び続けていけば、学び切ることはできなくとも、ちょっとずつビールというものの全体像がぼんやりとでも見えてくるのかもしれません。
そんな淡い期待をいだきつつ、これからもビールの世界にドン引いて途方に暮れていこうと思います。
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ここまで読んでくださってありがとうございました。
今週もみなさんがおいしくビールが飲めることを願っています!
それでは、また次回。
Cheers(乾杯)!!
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