Interview ”店はひとつの生命体” 新宿駅で最後に残ったビア&カフェ BERG 市原結美さん × なな瀬のビール女子トークセッション(前編)

2015/11/14

新宿駅東口の改札を出てすぐ左。徒歩 1 分もかからない場所に名物カフェ「ベルク」があります。 15 坪ほどの小さな個人店ですが、多くのファンに愛され、今なお 1 日 1500 人もの顧客が昼夜を問わず訪れます。 1970 年に創業のセルフ型のビア & カフェは新宿のほっとくつろげる場所。この度、ビール女子リポーターなな瀬と「ベルク」ビアマネージャー市原結美さんとのスペシャル対談が実現しました! 25 周年を迎える人気店の秘密になな瀬が迫るリポート前編です。

 

ベルク

 

ベルクカルチャーの誕生


なな瀬:まずは 25 周年おめでとうございます! 本日はよろしくお願いいたします。市原さんがベルクに関わるようになったきっかけは何ですか?

市原さん(以下、市原):純喫茶からカフェスタイルになり始めた頃ですね。個人的にオーナーと知り合いだったので、ベルクにはよく遊びに行っていました。一年経ったあたりで、ちょうど会社を辞めることになったので、その時オーナーに「一緒にやらないか」と誘ってもらって入ったんですよ。元々飲食も好きでしたし。かなり前です(笑)

オープン時から当時は珍しかった黒ビールや一杯 300 円の生ビールを出していて、新宿で気軽に一杯飲める店として存在していました。コーヒーも 200 円で飲めますしね。どんなに変化しようとそこだけは死守してやってきました。

 

なな瀬:今のビア & カフェスタイルへは、どのように変わっていったのですか?

インタビュー10

市原:うちは何でも言い出しっぺがやるという決まりがあるんですよ。「何かやりたい!」と誰かが言ったら、必ず本人にやらせてもらえるんです。ただ、責任をもってやるというのが鉄則。私はお酒の方で新しいアイデアをどんどん出していきました。お酒のなかでも特にビールが好きなので、「面白いビールを仕入れたいな」「ボトルを入れたいな」と、変わったことをやりたかった。それでクラフトビールです。当時は地ビールと言っていたかな。私はヒューガルデン・ホワイトが大好きでよく飲んでいたんです。当時はそのビールを飲める店が新宿界隈にまだ 1 店舗くらいしかなかったと思います。 FOODEX (毎年東京で行われる飲食の見本市)の会場で見つけて、自ら出向いて直接取り次ぎました。

 

なな瀬:すごいですね! 面白いビールがなければ、自分で探して行動して仕入れに行ったのですね。お店で実際に出されて、当時お客様の反応はどうでしたか?

市原:始めはびっくりしていましたよ。当時は誰も知らないですからね。グラスも独特だし、「この白いビールはなんなの!?」という反応でした。ビールに詳しくない一般のお客様も、相当衝撃を受けられていたようですね。こちらも遊びのひとつだったので、売上に影響を及ぼすような期待はなかったです。でも徐々にお客様の反応は変わっていきました。

 

なな瀬:変化していく感じって嬉しいですね。昨今は空前のクラフトビールブームですが、当時と今の客層は変わりましたか?

市原:確実にビールファンのお客様は増え続けています。今サッポロの樽が一日 200 リッターくらい出るんです。それに対して昔はクラフトビール系だと一日 15 リッターいくかいかないかくらいから、今 40 リッター出るんです。日本のクラフトビールのシェアは 1 %未満といわれてます。それに比べるとうちの場合はシェアがすごく高いです。 15 %〜 20 %は常にいくんじゃないかな。

 

なな瀬:アメリカのクラフトビールのシェアとほぼ一緒ですね。

市原:まさしく。タップは 2 つしかないですし、いわゆるのクラフトビール専門店とは全く違うけれど、やっぱり気軽さがいいのかな。サクッと飲んで帰れる。よくお客様が「クラフトビールのファーストフード」と表現してくださって。こんなに気軽に飲める店があって嬉しいと。一杯だけ飲んで帰れるという使い勝手を重要視してくださるようです。

 

なな瀬:朝は 7 時からの開店でしたよね?(笑)

市原:はい。早朝からいらっしゃいます。こういう土地柄なので、その時間帯にいらっしゃるのは、仕事明けの方が多いですね。例えば夜勤明けの方や水商売の方。そういう方々が仕事がやっと終わって飲みに行きたいと思った時に、 24 時間営業の店であったり、居酒屋にはなんだか行きづらい。そんな時にうちに来て、気軽にビールを飲んで帰る。その横では、これから会社に行く人がモーニングを食べているという図です(笑)

 

インタビュー10

なな瀬:あはは(笑) 朝は、混沌としていますねぇ。

市原:それがこの店では普通の状況になっていますから違和感なく受け入れています。そのスタイルはずっと変わらないですね。

 

 

突然の立ち退き宣告。ベルクファンが立ち上がる


なな瀬:お店の歴史についてなのですが、立ち退き騒動がありましたよね。数多くのお店が撤退してしまったというお話がありました。その時にこの新宿の場所を守るというか、こだわった理由は?

市原: 2006 年にマイシティがルミネに変わった時ですね。その時に家主であるルミネから約 200 店舗あったお店に、契約変更を求められたんです。うちも言われました。切り変える必要はないのですが、実際にはほとんどの店が変更することになってしまって。うちに対しては、応じないのであれば、出て行って欲しいと言われました。あとはファッションビルのカラーというのがあるのでしょうね。昔から新宿で続けている店は、カラーに合わないということもあって。ただ私たちはここで 20 年以上やってきていましたから。

 

なな瀬:続けていきたいですよね。

インタビュー10

市原私たちが続けるというよりも、お客様の方がこういう場所にこの店があるということが重要で、無くなって欲しくないという声があがったのが、一番嬉しかったですね。単に自分たちだけで続けたいということだったら、ここまでできなかったんじゃないかと思います。当時自分たちとしては、ごくあたりまえのことをやっていただけだったのに「急に出て行ってください」と言われ、寝耳に水というか、なんでだろうという感じでした。これ以上自分の力ではどうにもできないという時に公表したら、お客様の方から声があがって、とにかく続けて欲しいと。新宿で最後に残った小さな個人店で、多くの方が利用しているので、無くなって欲しくないと。

 

なな瀬:ベルクのお客様がそこまで応援してくれたというのには、特別な何かがあったのでしょうね。ファンの結束が強いですね。

市原:お客様に公表した時に、「LOVE!BERG!(ラブベルク)」というウェブサイトをすぐに立ち上げてくださいました。
とにかくできることはなんだろうと、お客様のみで行動してくださって。署名はあっという間に 1 万人以上集まりました。小さなことかもしれませんが、そういうことを積み重ねていくうちに、ビル(ルミネ)側との関係もだんだん柔らかくなってきたというか。メディア的にはよく「闘いに勝った!」というような印象に映ったかもしれませんが、そういうつもりはあまりなく、ごく自然に将来も続けていきたいというこちら側の想いと、お客様側の無くなって欲しくないという想いのおかげで、今があるので本当にありがたいです。

 

なな瀬:お店を守るためにお客様がそこまで行動に移すというのは、すごく珍しいことですよね。

市原:いやあ、もう本当にびっくりしました。

 

 

店は誰のものでもない。みんなのもの。


なな瀬:何がそこまでお客様の心を掴んだのだと思いますか?

市原:うーん、なんだったんだろう。長年あそこにいて思うのは、朝も来てその日の夜も来るお客様がいるんですよ。朝はコーヒーを飲んで、夜また来てビールを飲む。要は日常のひとつだと思うんですよね。自分に置き換えてみても、日常的にあたりまえのように行われているものが急に無くなるのは、ちょっとしんどいですよね。なんかそういうことだったのかなあ。それはお客様に教えていただいたと思います。

 

インタビュー10

なな瀬:朝、顔を洗って歯を磨いてという習慣の一部がなくなってしまうと思った時に、お客さんが立ち上がったのですね。

市原:こんなに想ってくださるお客様がいたとは本当に店冥利につきます。うちのオーナーがよく言うんですけど、「店は、誰のものでもない。使ってくれるお客様、出入りしてくれる業者さん、我々働いている者のものであり、みんなのもの」というのがあって。だからその店の勝手でやめるのはおかしいと。
自分たちのものではないので、お客様が「無くなってもしょうがないじゃん」となったらそれが答えで、出て行く潮時なんだなと思います。でも、お客様が「ここにいて欲しい」と言ってくださったので、ここでやっていいんだと思えましたね。

 

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平田亜矢子 ライター

日本ビアジャーナリスト協会事務局、ビアジャーナリストアカデミー教務課として、ビールの広く深い愉しさを伝えていく組織の運営に従事。「出張おかみ」として、和をとり入れたイベントを出張先でもてなすという個人活動を不定期で行う。過去には、料亭や庭園のある茶室で”ビア茶会“、”神楽坂フランスビールの会“、”朝落語“などを開催。

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