女性にとってビールを”もっと身近に感じてもらう”をテーマに、ビールに関わる女性、ビールが大好きな女性にお話を伺う「ビール女子インタビュー」。 第 8 回目の今回は、日本ビアジャーナリスト協会の副会長であり、様々なビールに関する書籍や雑誌の編集・ライターも行なう野田幾子さん。普段、編集者として雑誌や書籍の向こう側にいる野田さんがビールと出逢ったきっかけやライフスタイルに迫ります。聞き手はビール業界の出張おかみこと、平田亜矢子がお送りします。
「ビールの広く深い愉しさを伝えて行く」をコンセプトに、“伝え手”として“飲み手”と“造り手”を繋ぐ機関。 2012 年からはビールの“伝え手”を育てるためのビアジャーナリストアカデミーも開校し、すでに 100 名以上のビアジャーナリストを輩出している。
運命のビールとの出会い
ビアジャーナリストアカデミーで教鞭を取る野田さん
_ _ビアジャーナリストとしてご活躍中ですが、元々ビールはお好きだったのですか?よろしければ、ビールとの出会いから教えてください。
野田さん(以下敬称略):父が毎晩ビールで必ず晩酌をする人だったんです。7人家族が食卓に揃う前から、夕食の準備をする母の傍らで。銘柄も決まっていて、当時はキリンのラガーでした。缶ではなく絶対に瓶というひとで。烏賊の塩辛とビールの組合せが定番の晩酌セット。ちなみに祖父の晩酌は日本酒の熱燗でした。
この光景をずっと見ていましたから、子どもながらに「美味しそうだなあ」と。高校卒業後、友達が泊りに来た機会に、家の冷蔵庫を開けて父のビールをこっそり……。友だちと目を見開きながら顔を見合わせてしまいました。「美味いじゃん!」と。
_ _え!いきなり美味しい!と思ったのですか!?
野田さん:そう(笑)。まずは、キンキンに冷えた液体が喉を行き過ぎる感覚が。しかも苦味が美味いと思ったんですよね。「オトナになったなあ」と思いましたよ。実家は山形の酒処ですし、酒好きDNAが息づいているのかも。
ビール好きになったキッカケは、90年代前半に読んだ「BARレモン・ハート」を抜きにしては語れません。酒好きのバイブル(といわれる)古谷三敏先生のマンガです。Barが舞台で、お酒の知識ゼロの松ちゃんという常連客に、マスターが指南していくというストーリーです。いわゆる酒のうんちくマンガ。Barで扱うお酒は、ビールだけでなく、ワインやウィスキー、スコッチ、ジン、カクテルとなんでもあります。
_ _うわ。それ、読みたいです。
野田さん:松ちゃんが、カシスの入ったビール(ティママン・カシス)を飲む場面があって、そこで初めてベルギービールの存在を知りました。「ビールに果物が入っているなんて!」と驚きました。その頃には、既に浴びるほどビールを飲んでいるわけですよ。つぼ八とかでね。
_ _つぼ八!!!なつかしい(笑)。村さ来とか。
野田さん:居酒屋全盛の時代でしたからね。衝撃でした。あのマンガのシーンを読んで、私の中にある、知的好奇心のドアが開いたというか。
実際に飲んだのは、プランタン銀座で行われていた「ベルギービールフェア」の時だったかな。マンガで読んだカシスのビールが忘れられず買ったんです。せっかくの機会なので、初めて見る銘柄をもうひとつ。私はステンドグラスが大好きなので、その絵が描かれたラベルのビールをジャケ買いしました。
ある日の晴れた日曜日、その2本のうち、カシスの方はなんだか勿体無くて開けられなかったのですが、ジャケ買いしたもう1本のビールを選んで、家のベランダでまず飲みました。椅子とお気に入りの雑誌をベランダに運び、準備万端。丁寧に瓶を開けて背の高い(いま思うと)ピルスナーグラスに注ぐと、色が濃い褐色で、ものすごい泡立ちであることにまず驚きました。しかも「ビール」からは想像できない、いーい香り!
そして実際口に含むと……。
「なんじゃこりゃー!!!???」
「うんまー!!!!!!(美味い)」
と。もうね、ジーパン刑事*みたいなこと※になりました。
ひとり、ベランダで。
* 刑事ドラマ『太陽にほえろ』に松田優作扮するジーパン刑事が壮絶な死を迎える殉職シーンで自分の血を見て叫ぶ最後のセリフ。
_ _衝撃が走ったのですね。
野田さん:「なにこれ!」となりました。もうなんでしょうね、熟れたイチジクのような濃い果実感があって、ほんのりスパイシー。ビールだと思って飲んだのに、(いい意味で)裏切られたような驚きがありました。
それがレフラデュース*との出会いです。またラベルが可愛いらしいんですよね。味も期待以上でした。もしそこで期待を裏切られていたら、私のビール人生はちょっと変わっていったかもしれません。
* ベルギーを代表する修道院ビール。コリアンダーやオレンジピールなどが入ったスパイシーなビール。
_ _カシスのビールの方は、どうだったのですか?
野田さん:もう一本の方は、カシスではなく実はフランボワーズだった事が判明して、「あれ、もしかして松ちゃんが飲んだのと違う?」とちょっとテンション下がったかも。レフ ラデュースの衝撃ほどではなかったかな(笑)
_ _初めてビールが美味しいと感じた時と比べていかがですか?
野田さん:あのビールの「苦味」に感動したレベルから、さらに上です。
あまりの衝撃のあまり、当時個人旅行で2週間程イギリスやフランスに行く計画をしていたのですが、すぐに旅行代理店に電話をかけて、ベルギーも無理やり日程にねじ込んでもらったほどですから。人の行動を変えさせるくらいの威力がありました。
_ _日本のクラフトビールとの出会いは?
野田さん:私の中で、第二次ブームというものもあって。96,97年だと記憶していますが、銀河高原ビールでした。今と違ってもっと細長い青いボトルだったんです。やはり二匹のトナカイのラベルが可愛くて。
_ _やっぱりラベルですね。
野田さん:またジャケ買いをしました。ボトルが醸し出す全体の佇まいがいいんですよ。
しかも飲んだら
「なんじゃこりゃ!!!??」と。
_ _再び、ですね。
野田さん:私の体験した事のないものでした。
まずは、柔らかい風味に驚きました。小麦由来と知ったのは後からでしたが、「日本にもこんなに美味しいビールがあるんだ!」と。甘すぎず、苦くなく。当時六本木にあった直営店で樽生を楽しんだり、近所の酒屋さんで銀河高原ビール談義をしたりと、愛飲し続けていました。贈答品としても喜ばれて、ボトルを一輪挿しとして使ってくださったご夫婦もいらっしゃいましたね。今はもうそのボトルデザインはなくなってしまいましたが。同時期に「よなよなエール」も中吊り広告で見かけて、銀河高原ビールとは違う美味しさに感激しながら仕事仲間と飲んだりしていました。
仕事としてのクラフトビールに出逢うまで
_ _編集やライターのお仕事は、やはり以前からずっとやりたくて始められたのですか?
野田さん:元々は、ホテルのフロントでした。受付や案内、予約など、何でもやっていましたよ。
_ _そうだったのですか!(意外にも)サービス業ですね。
野田さん:私の原点でいうのであれば、そもそもうちの実家は寺ですからね。壇家のひととか、近所のひとも家にいらしたりして、人の出入りが激しいところで育っていますから、親が留守をしていたら、短い時間で子どもが応対しなければならない。お正月とお盆は、ひとが押し寄せるような状態です。お客様を迎え入れるセッティングをし、器を出し、お茶うけをそろえ、お茶を入れて……。
_ _サービスという以前に、おもてなしは、自然と身についていた?
野田さん:ホテルの仕事を含め、「お迎えする」ということ自体は元々好きでした。ただ、当時インターネットが出るタイミングだったこともあり、次第にどこにいても仕事ができる自分でいたい、手に職をつけたいと思うようになりました。
世界中どこにいても仕事ができるようになりたい、PCで仕事がしたいと友人に相談したら、「雑誌や本が好きなんだし、編集者になれば?」と言われて素直に納得して行動に移しました。
当時愛読していたアスキーのMac総合誌『MacPower』は、現在当たり前となっているDTPでの誌面制作を唯一行っている雑誌でした。「修行するならこの会社しかない!」と姉妹誌の「Mac People」でアルバイトを始めたのが、編集者人生のスタートです。
編集の仕事に関して、振り返ると中学時代から授業をまとめたノートの内容が先生から評価されていました。「天声人語」の要約とかね。見聞きしたことを自分の中で消化して、体系立ててまとめるのが元々好きだったのかもしれません。
ビールに携わるようになった最初のきっかけは、2003、4年頃に連載していたMacPeople誌の連載「Barで逢いましょう」です。IT業界で勢いのある方をビアバーにお迎えし、ビールを飲みながら話をしてもらうという企画。
さらには私がビール好きであることを知る元同僚から「ビールの本を作りたいんだけど、執筆しない?」と声をかけられ、ビール本の執筆・編集に携わり始めます。それが、2007年からシリーズ化している『極上のビールを飲もう!』になりました。
『極上のビールを飲もう!』の書籍化までたどり着いた野田さんのビアな編集者ライフ。後半は取材をしていく中での周りの変化や今後やりたいテーマなど☞☞☞☞☞